私は、ヨーロッパ各国、中国、アメリカなどで幾つかの多国籍企業でキャリアを積んできましたが、これらの国々では、多くの女性が「女性ならではの働き方」や「女性らしいマネジメント」を行い、子供がいても家庭と仕事を両立させながら、シニアなポジションで活躍しています。 初の女性首相が誕生するなど、変化の兆しが見える日本も、今後がとても楽しみです。ただ、まだまだ「周りにロールモデルがいなくて」という課題をお持ちの方も多いでしょう。 私がキャリアを積ませて頂いたグローバル企業では、役職の高い女性たちからも学びましたし、それと同時に、頑張っている女性たちをサポートする男性たちにもお世話になりました。 そんな環境の中で多くの方に「育てて」いただいた私自身の経験や、それをもとにコミュニティメンバーさんにお伝えし、実践してもらったことを、ここでも皆様に共有できればと思っています。
Profile
ヴィランティ 牧野 祝子 について
私は東京に生まれ、誰も英語のできない普通の家庭で育ちました。子供の頃から海外の文学を愛読し、特にシャーロックホームズやアルセーヌルパンの推理小説を通じてヨーロッパに興味を持ちました。 高校卒業後の春休みに体験したニューヨークでの語学留学をきっかけに、アメリカの大学に入学。最終的にコロンビア大学の女子大、バーナードカレッジを卒業しました。入学時は授業もろくにわからず苦労しましたが、数年すれば慣れるもの。マンハッタンでよく遊び、よく勉強した数年間でした。
卒業後は、将来的にオプションが広がる、かつチャレンジングな仕事を求めて世界有数の経営戦略コンサルティング会社、モニター・カンパニーとべイン・アンド・カンパニーに就職をしました。そこで本当に学びの多い数年を過ごした後、ロレアルでマーケティングを経験してから、国際的なビジネススクール、フランスのINSEADでMBAを取得しました。その後は世界最大の酒類会社 DIAGEO のロンドン本社に入社し、社内コンサルティングや商品開発をアメリカ、アジア、ヨーロッパで経験。
そして、INSEADで出会ったイタリア人の主人と結婚してローマへ移り、長女を出産。しばらくして、家族で上海に引っ越しました。当時の中国は経済成長真っ只中。上海では、主人も私も他国では考えられないような数多くのチャンスに恵まれ、キャリア面においてもこれ以上望めないほどの 9 年を経験した後、イタリアに戻ることを決心しました。 イタリアではファッションリテール業界で仕事をしつつ、これまでの経験を活かして新たにビジネスコーチングを副業として開始しました。副業がある程度軌道に乗ったところで、法人を設立しました。現在はBtoCコーチング、BtoBの研修、執筆や社外取締役など幅広く活動しており、主人と 3 人の子供のいるヨーロッパと日本を行き来しながら暮らしております。
For Your Career
目次
[ 第1部 ]
会社員、育休、数回の転職
キャリア迷子の頃の私
ー 第1章 ー
男性と女性の「キャリアカーブ」は違う
ー 第2章 ー
キャリアの「踊り場」——想定外の体験
ー 第3章 ー
ある日突然訪れた転機
ー 第4章 ー
掛け算すると、何が生まれる?
——あなた「だから」の価値
[ 第2部 ]
独立して、コーチングから
複業になった私
ー 第5章 ー
え、私が独立?
ー 第6章 ー
常にチャレンジ:夢を叶える3つの鍵
ー 第7章 ー
一人でやらない
[ 第3部 ]
おわりに
男性と女性で、キャリアの登り方は同じだと思いますか?
私は「女性だから」キャリアカーブが緩くなるのはつまらない、という思いから、男女関係なく実力と努力が評価されるコンサル業界に入りました。20代の当時は、子育てをしながら働く女性が周りにあまりおらず、女性も仕事を頑張るのであれば、キャリアカーブが男性と異なることはないだろうと考えていました。
当時の私が思い描くキャリアカーブは、年齢や経験とともにキャリアアップしていく、という非常に単純なものでした。
私の20代【第1ステージ】
独身でがむしゃらに働いていた頃は、特に違和感はありませんでした。「自分に自信がない」「上に上がっていけるのか」「英語ネイティブばかりの中で上手くやっていけるか」という不安はありましたが、それは私個人の問題で、「男性と女性」という観点で考えることはあまりなかったのです。
それでもキャリアの悩みは多く、20代の転職回数は3回。コンサル2社(モニターは東京・香港・インド、ベインは東京と、転勤も経験しました)の後、ロレアルでマーケティングを経験し、フランスでのプロジェクトも担当。その後INSEADでMBAを修了し、DIAGEOのイギリス本社に入る、という4社を体験しました。どの会社にも、グローバルに見れば活躍している女性たちがいて、私もいつかそうなりたいと思いながら頑張っていました。
とはいえ当時は、何となく「わかってもらえない」感じや、話していて「通じなさ」があり、悩むこともありました。男女の問題と、日本人として海外で働くという、ダブルの課題があったのだと思います。今でこそ「異文化の中で日本人女性として気をつけるポイント」が分かりますが、当時はすべて手探りでした。
もう少し早く誰かに相談して、自分のモヤモヤをアウトプットできていれば、これほど転職を繰り返して悩むことはなかったかもしれません。ただ当時は、誰に話せばいいか分からず、自己開示をすると「できない人」と思われるのではという恐れもあり、一人で抱え込んでいました。「コーチ」という存在も知らず、社内にメンター制度もなかった頃の話です。
第二章
キャリアの「踊り場」—想定外の体験
ローマの生活
INSEADで出会った主人と、数年の遠距離恋愛を経て、私たちは結婚しました。結婚を機に、キャリアの面では私の人生最大の暗黒期に突入します。
大好きな人と結婚し、ローマに引越し、元気な長女まで出産——なんて、夢のような結婚生活に聞こえるかもしれません。でも私は、そんな毎日を泣きたい気分で過ごしていました。知らない街で、家族も友人もいない、仕事もない。生まれたばかりの子供の相手以外することのない毎日。主人はコンサル会社のプロジェクトで、平日はほぼいません。
新しい出会いもなく、習い事を探しても楽しいコースもない。ヘッドハンターに会っても「戦略企画やマーケティングの仕事はローマにない」と言われ、人生お先真っ暗。そんな中、18ヶ月で3回も泥棒に遭う災難続き。「私、ここで何をしたら良いの?」と、悲観的にならずにはいられませんでした。
この経験を通じて、私は「自分は何かで忙しく、充実した毎日でないとダメになってしまう」ということを、心から実感したのでした。
将来を不安がって泣いていても仕方がありません。私は密かに「ローマ脱出計画」を立て、主人と私の二人が成長しながら働ける環境を探しました。その時に手を差し伸べてくれたのが、DIAGEO時代の上司。当時アジアのマーケティング代表だったイギリス人の彼が、「Noriko、アジアに来れば仕事を作ってあげるよ!」と、上海で復帰できる環境を整えてくれたのです。今でも感謝しかありません。
障がい児の誕生
当時1歳半だった娘を連れて、私たち家族は上海に引っ越しました。主人は相変わらず出張が多く忙しい中、私は9時から15時までの時短勤務をしながら、責任あるプロジェクトを任され、充実したキャリア復帰と楽しい子育てを謳歌していました。やっと、描いていた「右肩あがりの理想の人生」に戻れた!——そう思った矢先に、第2の試練がやってきます。
2人目の妊娠も順調に進み、来週から産休、という時。いつものように妊婦検診に行くと、「お腹の中の子が育っていないようだから、明日にでも緊急帝王切開しなくてはなりません」と言われたのです。検診は欠かさず受けていたのに、最後まで見つからなかった異変。生まれてきた子には先天性の障がいがあり、病院でも原因や症状は確定できないとのことでした。
産後は、数ヶ月ICUにいた娘に会いに毎日通い、口蓋裂のためにミルクを飲ませるのも大変で、不安が重なるストレスの多い日々。子供一人ひとりに合わせて作られる食事・運動・知能のプログラム「ドーマン法」に出会い、朝から晩まで欠かさず実践しました。ただただ、娘がハイハイして歩けるように、少しでも発達するようにと、毎日必死でした。
気づけば、3年間のブランク。20代に描いた「右肩あがりの人生」からは大きく脱線し、「どんどん昇進していくカッコ良い女性」になる自信は、微塵もなくなっていました。「もう昔のようには働けないだろう。3年もブランクがあるのだから」。かといって、この先ずっと家にいる自分も想像できない。「仕事は好きだから、近所のスタバでバイトでもしようかな」と本気で考えていました。
それでも、方向転換はできる
女性のキャリアコミュニティを主宰してから、程度の差はあれ、一定数の女性が、このように「想定外の形で右肩あがりのカーブから脱線」することがわかりました。一見楽しそうに見える駐在妻の方々も、家族の生活を整えることに必死になるうちに、ある日突然「私のキャリアはどうなるの?」と不安になる——そんな話を何人もの方から伺いました。
ただ、私自身の経験からも、多くの女性の人生に伴走してきた経験からも、断言できることがあります。一度脱線しても、そこから再び、自分の理想とする生き方に方向転換できる、ということ。元々の目標達成はもちろん、時には当初想定していたゴールよりも、さらに高いところへ行くことさえ可能です。
人生はジェットコースター。アップだけの人も、ダウンだけの人もいません。大雨が降れば必ずその後に晴れて、時には大きな虹がかかる。今「辛いな」「上手くいかないな」と思っていても、ちょっとした意識と行動で、それは大きく変えられるのです。
【この頃の私が、いちばん欲しかったもの】
この3年は、私の人生で一番辛い時期でした。「ビジネススクールまで行ったのは何だったのだろう。私は一生、家庭にいて主人と子供の世話しかしないのか」と、この先が真っ暗に感じられました。あの時、女性の相談相手が一人でもいたら! と今でも強く思います。両立している先輩がいなかったわけではありませんが、ただでさえ忙しい彼女たちに、久しぶりに連絡して相談するのは、正直、気が引けてできなかったのです。
第三章
ある日突然訪れた転機
チャンスをつかんで、流れを変えよう
障がい児の娘が生まれてからは、ほぼ毎日が「サバイバル」。ローマで仕事ができなかった時期も含めると、私の30代はキャリアとほぼ無縁でした。「これからどうなるのかしら」と思いながら、子供たちも少し大きくなり、ようやく少し余裕が出てきたある日——神様が「棚からぼたもち」をくださいました。
以前からお世話になっているイギリスのお酒の会社。そのアジア代表の方から、Facebook経由で「最近どうしているの?」とメッセージが届いたのです。すぐにお返事をし、電話でお話しすると(当時はまだZoomもありません!)、「今度、新しいプロジェクトが始まるよ。子育て中なら、リモートで、家からの仕事でいいし、時短でも大丈夫。やってみない?」と、魅力的なお誘い。
「2回も留学して夜中まで仕事したのに、もう一生仕事に戻れないかも」と本気で考えていた私にとっては、飛び上がるほど嬉しいニュース。ただ、すぐに「YES」と言えない自分もいました。「自信がない」「戻って、彼をがっかりさせてしまったら」「私にできるかしら」——不安とワクワクが入り混じり、それからの数日は夜も眠れませんでした。
主人に「どうしよう?」と相談すると、私の複雑な気持ちはあまり理解してくれなかったようですが、ひとこと「やってみれば?」。そんな家族に支えられて、意外にもすんなりと復職の日を迎えました。今思うと、あのチャンスを掴んでおいて本当に良かった。
人生で幸運の女神が微笑んでくれる瞬間は、そう何度もありません。その時、ワクワクが不安よりも少しでも大きかったら、すかさずジャンプインすることをお勧めします。後からうまくいかなければ、辞める・減らすという選択肢もある。でも、スタートしなければ、あなたはそこに立ち止まったままです。
両立? キャリアインテグレーション?
「3年もブランクがあるから、使い物にならないのでは?」——プロジェクトを始めて数ヶ月後には、そんな心配はもうなくなっていました。同じ会社に戻ったので知り合いも多く、自分でプロジェクトを動かせたことにも救われ、私の人生に再び「キャリア」という要素がインテグレート(統合)され、仕事をしながら家庭も大切にする生活を再スタートできたのです。
とはいえ、順調は長く続きません。「自分のペースで、リモートで」だったはずのプロジェクトはどんどん忙しくなり、それと比例して私のやりがいも増し、プライベートとのバランスが危うくなっていきました。「一生仕事ができないかも」と思っていた反動でしょうか。「働いて、働いて、働く」ことで、他人にも自分にも「やればできる」と証明したかったのだと思います。
5時に起きてお弁当を作り、7時に出勤。20時過ぎに帰宅してはPCを開く。障がい児の次女はしょっちゅう入院し、長女や長男も登園・登校をしぶる。出張続きの主人とは、会えば喧嘩。結婚生活も危ういのでは、というところまで来てしまいました。
転職を繰り返して
プライベートはボロボロ。仕事の成果は上げたけれど、完全にバーンアウト。こうして私は、10年間・3大陸で・2度の育休を経てお世話になったDIAGEOを辞めることにしました。「一生仕事ができないかも」と思っていた私が、自信を取り戻し、自ら「キャリアブレーク」を選んだのです。今でも本当に良い会社だと思っていて、DIAGEOとは今も企業研修などでご縁が続いています。
次の仕事を決めずに辞めた私ですが、将来を心配する前に、嬉しいオファーが舞い込みました。以前ご一緒した方がイタリア系の会社でジェネラルマネージャーを探しているとのこと。いつか経験したかったファッション業界ということもあり、数ヶ月後にはそのチャンスに飛び込んでいました。
詳細は省きますが、この会社でも私は同じことを繰り返します。「仕事が楽しい」→「必要以上に働きすぎる」→「バーンアウト」→「離職」。幸い、経済成長中の上海にいたおかげで、離職の数ヶ月後には次の面白いオファーをいただけました。ただ、長続きしない……。このサイクルをさらに数回繰り返した後、今度は主人が転職することになり、私たちは10年弱の上海生活に幕を閉じました。
あの時のこと、後悔する?
30代前半でキャリアが「マイナス」になり、後半から40代は、逆に働きすぎたかもしれません。子供が小さい中、ヨーロッパへ1週間の出張もあり、「もっと一緒にいればよかった」と思うこともあります。
ただ、確実に言えるのは、私は「その時々を一所懸命に生きていた」ということ。転職のたびに、新しい業界で、知識も経験もないまま異文化の部下をマネジメントする難しさに直面しました。でも、そこで学んだ上司や先輩、同僚たちからの「ポジティブフィードバックの大切さ」があったからこそ、後に著者としてメッセージを届けることもできたのだと思います。
「やらない後悔より、やる後悔」。面白そうなチャンスが目の前に現れたら、私は断然そちらを選びます。うまくいかなければ、途中でやめればいいのですから。
第四章
掛け算すると、何が生まれる?
——あなた「だから」の価値
今までの経験を掛け算する
ミラノのアウトレット企業で、私はホスピタリティ部の立ち上げを担当しました。40代でそれなりに経験を積んだ私は、「どうすれば最大限、価値提供できるか」にフォーカスして働くよう意識するようになります。きっかけは、「20代の◯◯さんでもできる仕事を、どうして私がやらないといけないの!」というモヤモヤを抱え始めたことでした。
そこで私は、「コンサル経験」「MBA」「中国で培った、混沌の中でも笑顔で細部まで実行する力」「100人のチームをリードした経験」「日本人としてのおもてなし精神」——こうした過去の経験を掛け算して価値を出すことに専念し、社内での「自分のブランディング」として使ってみることにしました。自分でも胸を張って「この理由で私はこのチームにいる」と思えると、押しの強いイタリア人パワーにも負けません。お給料水準の低いイタリアで、それなりのコンサルフィーをいただく業務委託契約でも、「Norikoは◯◯の専門家だから」と周りが納得してくれたのかもしれません。
この「過去の経験の掛け算」は、ぜひ皆さんにも意識していただきたいことです。使える要素は「業界」「職種」「ソフトスキル」「個人的な経験」など何でも構いません。とはいえ、自分の強みは自分では分からないもの。先日も、ある60代の上級管理職の男性が「僕は自分の強みが分からなくて」とそっと打ち明けてくれました。人は、自分のことがいちばん見えないのです。
掛け算した自分のアピールは、あなたのキャリアゴールが何であっても役立ちます。
- 組織内でのキャリアアップ:周りとの差別化や「あなたの居場所」の確保に
- 転職:あなたがどう会社に貢献できるか、そのストーリーの核に
- 起業・副業:「なぜこの道でやりたいのか」という想いは、未来の見込み客に伝えるために不可欠
- キャリア迷子からの脱出:過去の棚卸しと経験の掛け算は、脱・キャリア迷子の第一歩
掛け算には、ぜひ「女性」の要素も——ワーキングマザーのスペシャルスキル
過去の経験を掛け算するとき、ぜひ忘れないでほしいのが、「女性ならではの在り方」や「子育ての経験」が意外なほど大切だということ。私は、良いリーダーになるうえで子育て経験はプラスに働くと考えています。長時間は働けないかもしれませんが、その分を効率でカバーし、他で補える力は山ほどあります。「長時間労働こそ美徳」という考え方は、もう時代遅れではないでしょうか。
子供が突然泣きわめく、少し目を離せば何をするか分からない、頼れる主人もほぼ不在。そんな「サバイバル」を数年経験した女性には、以下のようなスキルが自然と身についています。
- 傾聴力と心理的安全性:上場企業の管理職研修は男性ばかりのことが多く、相槌や笑顔が少なくて講師の私が話しにくいこともあります(それでも笑顔で話します!)。女性が1人2人いるだけで、チームの心理的安全性がガラッと変わり、参加者から意見が出やすくなる——これを毎日のように体感しています
- 忍耐力:相手が思うように動かなくても「まあ、こんなものか」と構えられる
- 委任力:忙しいからこそ、部下に仕事と責任をどんどん任せられる
- 引き出し力:相手の長所や良さを活かし、可能性を広げる
- 柔軟性:「絶対にこれでないと」という執着がなく、多様性を活かせる
- マルチタスキング力:複数のことを並行させ、それでも結果を出す
どれもビジネスリーダーに欠かせない力です。自分と(まったく)違う性格の子を育てる中で、私たちは「他人はコントロールできない」こと、そして「どうすれば相手が自分から動きたくなるか」にフォーカスすることを、無意識に学びます。私のお勧めするマネジメントは、あくまで「強みを活かす」スタイル。部下に責任を与え、大船に乗った気分で(内心ドキドキしながら)見守り、こまめにポジティブフィードバックを重ねると、チームは必ず伸びます。
母親は、子供が生まれた瞬間に母親になるのではなく、子育てをしながら「子供に母親にしてもらう」もの。同じように「上司」も、肩書きがついた段階ではまだ上司ではなく、部下マネジメントに苦労する中で良いマネージャーになっていくのだと思います。
日本の人事担当、そしてマネージャーの皆さん、そろそろワーキングマザーの良さを活かすべきでは? 早くしないと、良い人材を競合に取られてしまいますよ。
第六章
常にチャレンジ:夢を叶える3つの鍵
「私の経験が、誰かの役に立てば」と、自信のないまま独立し、最初は「女性のコーチングプログラム」だけを行っていた私。さまざまなご縁もあり、数年のうちに対法人の研修事業も始まりました。今は、この「B to C(クライアントが個人)」「B to B(クライアントが企業)」の2本柱に加え、「執筆・講演」「社外取締役」などの活動をさせていただいています。
2022年、2024年、2026年と3冊の商業出版を経験し、執筆だけでなく、販促やメディアのお仕事のチャンスもいただきました。東洋経済オンライン、NewsPicks、PIVOT、ダイヤモンド、日経xウーマンなど、私自身が好きなメディアで取り上げていただけたことは、本当に嬉しく思います。対法人のリーダーシップ研修は、日本だけでなく海外企業からの案件も増え、2023年にはTEDx Talksにも登壇しました。「ミラノも東京も大好き。行き来する暮らしがしたいな」という夢も、叶いました。
たまに「そうなると、最初から分かっていたのですか?」と聞かれます。答えはYES&NO。「そうなったらいいな」と夢を描き、種まきはしていました(だからYES)。でも、5カ年計画のようなものはなく(だからNO)、「絶対にこうならないと」という執着も持ちませんでした。そして、この道のりでは、たくさんの失敗もしています。
私が常にチャレンジを続けるのには、理由が2つあります。1つは、挑戦していないと「飽きて」しまうから。もう1つは、コーチや講師である自分が挑戦をやめたら、皆さんの勇気や刺激になれないから。私が後をついていきたいのは、常に走っている人。これからも走り抜けますので、皆さんも一緒に走って、私を追い抜いてくださいね。
最近、尊敬する方から「幸せな挑戦」という言葉を教わりました。やってみたい、ワクワクすることに挑む。「幸せな挑戦」で溢れた人生こそ、私の理想です。
私の経験から、未知の世界にジャンプインして「夢を叶える」には、3つの鍵があると思います。これは起業・副業に限らず、異業界への転職、背伸びしたキャリアアップ、海外移住など、あらゆる「できるかな、やりたいな」に共通します。
鍵1
将来の夢を描き、アウトプットする
将来の夢を描き、語ることはとても大切です。以前の私は「恥ずかしいし、どうせ叶わないから」と夢を口にしませんでした。でも、恥ずかしくても言語化すると、実現の可能性が倍増していくのを感じます。「女性のための国際エグゼクティブコーチ、ヴィランティ牧野祝子です」と肩書きを決めて名乗り始めたら、だんだん自分もその気になっていったのを、今でも覚えています。
ただし「誰に」伝えるかは大切。あなたを否定せず、応援してくれる人にアウトプットしましょう。お互いの話を聴き、ポジティブフィードバックを与え合う私のコミュニティでは、未来がすでに叶った姿を先に描く「予祝」が定番の習慣になりました。「予祝したら、できる気がした」「数ヶ月後に振り返ったら、すべて実現していた」という嬉しい声が届いています。
鍵2
小さくてもいい、一歩ずつ「動く」
夢を描いてアウトプットしても、頭の中で想像するだけでは現実は動きません。むしろ「本当にできるのかな」と不安が募ります。だから、「私なんて」と思っても、今できる最初の一歩を探して、どんなに小さくても行動を起こす「行動力」が大切です。
私も、出版など初めての挑戦のたびに「できるかな、失敗したらどうしよう」と怖くなり、逃げたくなります。それでも「アリの一歩でいいから動こう」と地味に進む。動けば失敗もありますが、続けることに意味があります。社外取締役に挑戦するときも、「とりあえず学んでみよう」と国内外の育成講座やコミュニティに参加しました。どんなに小さくても、頂いたチャンスや思いついたことをこなしていくことだけが、次のステップになります。
ここで、知っておいてほしい秘密を2つ。1つ目は「素直さ」。「本当かな?」と思っても、まず動いてみる。考えているくらいなら動いたほうが、本当かどうか検証でき、次に進めます。2つ目は「行動から結果までの時差」。行動してもすぐに結果が出ないことは多く、「出ないからやめる」か「時差があるかもと、もう少し続ける」かで、大きな差がつきます。尊敬する方からは、行動を繰り返し「ある一定の飽和量を超える」と結果につながる、と教わりました。
鍵3
すでに叶えている「経験者」に会う
「やってみたいな」と思ったら、まずそれを実現した人を探して会い、話を聞いてみましょう。成功への一番の近道を教えてくれます。私も出版のときは、経験者を探してコミュニティに入り、コツを教わりました。まったく知らない相手でも、アプローチすれば多くの人は応えてくれます。私自身、「コールドコール」でいきなりメールやLinkedInのメッセージを送ったことは、一度や二度ではありません。
実際に会って話すと、「この人も意外と大変だったんだ」「目の前の人も一人の人間だし、私にもできるかも」と思えてきます。多くの人は、惜しみなく成功の秘訣や失敗談を語ってくれます。その知見を得てから動くか、何も知らずに動くかで、夢の実現率も、そこまでのスピードも大きく変わります。